ぼけなす2007-03-03 01:28:05

遥か昔の事ですが、

中学を卒業して、高校生活を始めたばかりの頃です。初めての古文の授業の事でした。その日は6の付く日だったのだと思います。出席番号6番だった僕は、その日真っ先にその授業で先生に当てられたのです。 何を聞かれたのかは全く記憶にないのですが、授業中に何かの質問が先生からあって、出席番号6番が指名されたのでした。

そのとき僕は何の事やら全く分からなくて、仕方がないので、「分かりません」と答えたんだと思います。すると、先生から返って来たのは、

「ぼけ!立ってろ!」の一言でした。

さて、6番が答えられなかった時はどうなるのか、続いて7番に質問の白羽の矢が飛んで、そこで7番が答えられないと同じく、

「ぼけ!立ってろ!」が続くのです。

さて、それ以降毎回古文の授業ではこの「ぼけ!立ってろ!」が習わしになったのでした。

不思議な雰囲気を持った、不思議な授業と不思議な先生でした。ちょうど松本零士の漫画に出てくる達郎の様な顔をした、でもちょっと恐い顔の先生でした。

僕は卒業するまで何回「ぼけ!」と言われたかな?

今はお元気でおられるのだろうか?ちょっと懐かしい先生です。

ぼけなす(続き)2007-03-03 21:50:17

その後、ぼけなす先生は現代国語も教えていました。 高三になる頃には結構人気の先生で、あれだけ教室で「ぼけ!」とののしられていたにも関わらず、なぜか皆この先生に親しげにしていたのです。

高校3年の時の課外授業。確か京王線沿線の動物園に行った記憶があるのだけど、この先生の周りにはなぜか沢山の生徒がいた様に記憶しています。

別に愛想の良い先生ではなっかたのだけど。ただ少しシャイな感じ、それが今になって見ての感想です。 不思議です。 そう言えば、一度学園新聞にも取り上げられていたっけ、

考えたら高校の時には色々名物先生がいた様な気がします。でも、このぼけ!先生はかなり別格だった気もします。

こういう先生がいた時代というのは今では貴重な時代なんでしょうか? もちろん最近の学校の事は全く分からないから何も言えないのですが、、、、

恐い先輩と言えば2007-03-08 23:55:27

会社に入社したての頃です。僕は20代のぺーぺーだった訳ですが、当時の課長が社内でも有名な恐い人でした。 恐いというのは、要は厳しい人だったのです。

朝からその課長がいれば課の雰囲気はぴりぴりしていました。 ちょっとした不注意で何を言われてしまうか分かりません。それによってその日の気分は大きく変わってしまうのです。

当時の僕は右も左も分からない新人でした。 タバコを吸うのは当たり前の権利だと思っていました。席でカップのコーヒーを飲んでいるのも、人としての当然の権利だと思っていました。

でも、この課長と出会ってから変わってしまったのです。 仕事中に人はタバコを吸う権利はないのです。まして、自席でコーヒーを飲むなんてそれは自殺行為でした。

ある朝、僕は知らずに席でコーヒーを飲みながら書類を探っていました。すると、 「お前の飲んでいるコーヒーで会社の需要な契約書にダメージを与えてしまったらお前はどうやってその損害を償うのだ?」と詰め寄られてしましました。

その日以来僕は席でコーヒーを飲めなくなりました。

そしてその次の日、席でタバコを吸っていたら、「お前のタバコの火で、会社の重要な契約書に穴をあけたり、燃やしてしまったら、お前はどうやってそれを償うのだ?」と言われました。それから僕はタバコが吸えなくなりました。

それがタバコをやめるきっかけでした。感謝してよいのやら、何と言えば良いのか、よくわかりません。

昔はそうやって恐い先輩達が沢山いた様に思います。

今は、そんな人に出会う事もなくなって来た。。。。

東京駅周辺2007-03-10 00:18:09

今年になってから、仕事先が東京駅の八重洲側周辺になりました。

既に2ヶ月が経過して、東京生まれの僕としては何とも情け無い事だけど、八重洲と日本橋が実はとっても近い事を初めて知りました。

八重洲の地下道をずっと歩いて行って、これ以上先には行けない所まで行くと、そこはもう日本橋だったのです。 正確に言うと、左が日本橋、右が京橋と言う感じでした。

だから、外に出てすぐにもう日本橋の高島屋があったのです。

今更ながら、へーと思いました。

ところで、東京駅を中心としたエリアを無料のシャトルバスが走っています。一度乗ってみたいのですが、停留所がどこだかよくわかりません。今日何気なく歩いてたら、路上に3各ポールが置いてありました。まるで道路工事の置き忘れのようにポッツリと置いてあったのですが、よく見ると、停留所と書いてありました。なんともひどい表示ではありませんか。

これでは外国の旅行者には全く分からないだろうし、使いたくても使えない。

これまた、へーと妙に感心ならぬ呆れの状況でした。

飛行機事故で思う事2007-03-13 23:24:02

今日、高知空港で全日空機が胴体着陸をしたと言う事で大きく報道されていました。

この機種はカナダのボンバルディア製で、過去にも何度もトラブルを起こして問題になっている機種と言う報道でした。確かに僕が記憶する限りでも、今まで何回かのトラブルの報道があったと思います。

そもそも、こんな機種を選定した航空会社の選定能力は問題なかったのでしょうか?単に安かろう、悪かろうでは、今時の自動車でも許される事ではなくて、そんな機種を選定した航空会社の責任はないのかなと思ってしまいます。 確かにパイロットの着陸テクニックは良かったのだろうと思いますが、こうしたトラブルに備えているのはある意味当然の事であって、礼賛される事ではないと思います。それよりも、これで航空会社の責任が隠れるのはおかしいという気がしました。

そして、そもそもこんなにトラブルの多い飛行機を作った会社の責任はさらにきちんと追求されるべきだと思うのです。

思えば物作り大国日本の最近の品質の低下は憂うベキなのですが、今こそ品質を一番の売り物にして来た日本の製造技術をもう一度世界に売り込むチャンスもあるのではないかと思います。

カナダのボンバルディアとブラジルのエンブラエルは小型機の中では両雄とされるメーカーですが、今こそ日本のMJと言う様なプロジェクトを成功させる良機はないのではないかと思います。別に僕は飛行機産業に関わる人間ではないけれど、でもこれだけ裾野の広い航空機産業を日本にも根付かせて育てるためには、絶好の機会の様にも思います。これで失敗すれば、きっと中国にもって行かれてしまうでしょう。そんな危機感も感じます。

自動車産業は日本を支える基幹産業ですが、航空機産業もその中の一つにして良いのではないかと思います。

かつて、2大メーカーだったMダグラスがボーイングの元に合併されて存続をしました。今や欧州エアバスもA380の遅延で赤字を出す始末です。この世界何が起こるか分からないけど、日本の物作りの再評価をされる良い機会かなと思ったのです。

がんばれ、MJそしてそれに続くプロジェクト