またも思い出し話 ― 2008-08-15 21:23:26
なんだかんだ言って思い出し話ばかりしているようだけど、 Californiaの話です。
僕が仕事をしていた客先では、隣に工場があって、そこで多くのメキシコ系、中南米系のいわゆるヒスパニックの人たちが働いていました。 当然ながら標準語はスペイン語です。みんな元気にスペイン語を使いながら仕事をしていました。ブルーカラーの人たちはもうほぼ全員がこうしたヒスパニックでしたが、ホワイトカラーの人たちにもかなりの数のスペイン語を母国語としているのではないかと思われる人たちが含まれていました。
さて、僕が気になったのは、そして、今こうして思い出し話で語ろうとしているのは、彼らの給料の支払いについてです。
毎週木曜日と金曜日の仕事が明ける17時頃に一台のトラックがやって来ます。
初めのうちは特に気づきませんでしたが、そのうち慣れるに従って、このトラックに工場で働いている人たちが列を作っているのに気がつきました。
何となく気になって、同僚にこの列の事を聞いてみました。 それは毎週彼らの給料が支払われるためのトラックでした。 従業員は何か紙を持ってその列に加わります。 そしてその後、トラックから現金を貰っているのでした。一週間分の給料を受け取っていたのです。
ちょっと日本では考えられない光景です。 最近は日雇いの労働者の、いわゆる派遣の問題が注目を浴びていますが、そのような現実はあまり目に着く事はありませんでした。しかし、こうしてアメリカでも、また日本でも日給制、週給制で仕事をしている人たちがいたのです。
この工場で驚いたのは、若い人、少し年配の人、男性、女性関わりなく、こうして毎週毎週支払いを受けていると言う事です。
そして、一番の驚きは、一歩この工場から出ると、いかにもお金を持っていそうな人たちが高級そうな車を乗り回して、生活をエンジョイしていると言う格差です。
これが現実と言ってしまえばそれまでなのですが、僕らは一歩間違えるとこの格差の中に取り込まれ、苦しい思いをしなければならないかもしれないのです。
どちらも一生懸命働いていると言う現実は変わらなくても、この格差は厳然として存在します。
それは、子供の頃に僕が中米で感じた格差社会をまさに思い起こさせるものでした。
少しでもこの格差の中で上に這い上がる様に頑張って行かないと行けないのです。 Never give upなんです。この気力を失ったとたんに僕はきっと底なしの沼に落ち込んでいくんだと思います。 そしてその気力の支えを決して失ってはならないのですね。 だから僕は今も頑張って行こうとしているのだと思います。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://gammo-kun.asablo.jp/blog/2008/08/15/3694215/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。