明日は母の命日2014-01-23 23:14:14

ちょうど22年前の今日、僕はやはり夜遅くに車で帰って来ました。その日の夜は小雪が舞ってとても寒い夜でした。

当時僕は毎日母の病室を訪れて、看病した後に車で帰って来る生活でした。 勿論仕事を休むことは出来ないので、仕事を終えた後に病院に行き、そしてしばらく母を見ながら病室で過ごす生活でした。 母の病状は一進一退。良くなって来たなと思ったら、その次は急に病状が悪化し、そしてまた少し良くなったと思ったら悪化する毎日でした。 僕の二人の妹たちは代わる代わる病院に泊まり母の看病に専心していました。 男の僕はそんなことも出来ず、妹たちには申し訳ないと思いつつも、仕事のこともあったりで、二人に甘えていた感がありました。 そして迎えた1月23日の夜。その日も母の病状を気にしながら、妹に後を託し家路に着いたのです。 その日の雪が妙に嫌な気分を喚起しました。いわゆる嫌な予感めいたものがありました。でも人は現実を目の当たりにするまではそれを信じることは出来ません。 こうしてその夜が終わり翌24日、運命の日がやって来ました。 ところで、なぜこんなことを書き出したか、それは勿論母の命日を前にしてのある種センチメンタルな思いですが、今回は23回忌という特別な年でもあり、また先週その23回忌を済ませたばかりということもあるかも知れません。 でも、今の僕の心の中にずっと潜んでいるのは千恵さんのことです。 毎日毎日思い出しては陰鬱な気分になるのは、まさに千恵さんとの別離です。 彼女は今どこで何をしているかは分かりませんが、僕のこの人生の中で一番の出来事は彼女と巡り会ったことですし、一番の悲劇は彼女と別れるはめになったことだと思います。 心の中に暗く潜んでいるのはそうした苦悩で、時々思い出す様に僕の心臓を突き刺しに現れます。それは母の死とはまた別な意味での悲劇です。 僕には未だにこの悲劇を受け止めることが出来ません。 毎日の生活の中でこのつらく悲しい思いと向かい合いながら生活をしているのです。 そして、これは僕の心を日々陰鬱な気分に誘います。 無意識にもふと気づくと僕の心は深く暗い闇の中に沈んでいるのです。 思い出すのは彼女と過ごした楽しかった日々よりも、彼女の心が僕から去って以降のつらい思いばかりなのです。 もしかしたら、いえ、きっと一生この思いを心に引きづりながら生きて行くのではないかと思います。 ただ、どうしても彼女に伝えたいことがあります。 あなたはこれで幸せになれると思っているのかもしれないが、あなたの言動の為に一人の男の心を深く傷つけ、深い悲しみのそこに落とし込んだその責任はあなたにあると言うことを! 今日はここまでにしておきますが、このブログはまだずっと続きます。