Hondurasの思いで2008-08-12 21:43:24

ちょっと今日もこだわっていますね、少年期の思いでに。

僕がHondurasに行ったのは、メキシコでオリンピックが行われる前の事です。Tokyoでオリンピックがあってその直後でした。随分遥か昔の事の様に思います。

当時は羽田空港からCanadian Pacificその後CPAirと呼ばれる様になり、さらにその後Air Canadaに合併された航空会社の飛行機でバンクーバー経由メキシコシティへ行きました。

もちろん生まれて初めての飛行機の旅です。子供の僕にはたとえエコノミークラスだろうと格別な世界に感じました。

東京の下町生まれの下町育ちだった僕が、滅多に乗る事なんて出来ない飛行機に乗って海外に行くなんてとっても想像を超えた世界だったと思います。

そして生まれて初めて見たメキシコの街。当時は大きなアメ車が街の中を走っていたと思います。メキシコの空港からホテルに向かった時の車はシボレーでした。車なんてまず滅多に見る事もなかった日本からいきなり大型のアメ車に乗ってホテル入りだなんて、随分恐れ多い事だと思います。

そして翌日メキシコからプロペラ機で向かったのがHondurasでした。トンコンティンと言う面白い名前の空港に着いて、どんな思いだったのだろうと思います。

さしあたって家を見つけるまでの間暫く泊まったホテルの事は未だに思い出します。ホテル サボイと言う名前でした。 毎日ホテルの部屋から外を見ていた母がある日意を決してホテルの前の小さなお店で初めて買い物をしました。日本では高級品と言って良いバナナでした。 その日の母が少し興奮気味で嬉しそうだったのを思い出します。

当時の動画が実は今も残っています。父がカメラ好きだったせいで、8ミリビデオを撮っていたのです。音がないのが何とも残念ですが、画期的ですよね。昭和30年代の動画なのですから。何とかこのビデオをDVDに残して、もう一度見直したいと思います。まさに西岸良平の世界が中米の小国に飛び出してしまった世界です。

学校に通う様になった僕と妹が家の庭で制服を着て動いているのが不思議な感じです。9月15日は特別な行事があって、学生は制服を着てスタジアムまで行進するのですが、低学年だった僕らはその行進に加わる事が出来ずに、制服だけ来てまねっこをしているのです。

なつかしいなぁ。。。。 もう二度と戻らない世界。

なんだか思い出が思い出を呼んで話が進みそうな気がして来ました。