かな1級のその後2009-09-06 20:10:55

先週の週末に正式に届きました。残念ながら今回提出したかな1級の課題は不合格。

ふー、ちょっと、いや結構ショックです。

でも、仕事が超多忙で、先週、今週ともに深夜帰宅が続きました。そのため、習字のことなど考える余裕なし。この週末も昨日も今日もベッドに入ると目が覚める時間は時計に聞いてくれという感じで、目が覚めたときが目覚めのとき。昨日の土曜日は11時。午前中に目が覚めたのが奇跡かなとも思える疲労感。今日は9時。なにしろ先週見逃した麦わらを見たいというそれだけの思い出おきたというわけです。

今日現実に立ち戻った僕は、午後から1級の課題に再挑戦しました。 かなの小筆を持っての習字はなんとなくいまひとつやったという実感に乏しく、今日は何か実績を残したという感覚を捕らえにくいのです。

でも、とにかく昼から墨を摺り、挑戦すること約1.5時間。なんとか3枚目の作品を再提出してみる気になりました。もちろんこれが必ず合格に導くかはまったく分かりません。むしろ自信がないくらいだけど、とにかく今日切手を貼って出しました。あとは結果を待つのみ。

そんなわけで、夕方次の課題と思っている漢字の5段と臨書準初段の課題を出すための紙を買いに丸の内に行きました。

行ったついでにかな用の半切用紙の確認もしてきました。1枚170円で白の半切用紙がありました。色つきの場合はもう少し高そうです。

でもようやく次のステップに移りつつあります。

がんばらないと、精神一到何事かならざらん

DELE2009-09-06 20:23:11

先週たまたま丸の内の丸ビルでぶらぶらしていたら、本屋さんを見つけて何気にはいりました。

ただの暇つぶしに過ぎなかったのですが、とにかく好きな車の雑誌でも見ようかなと思ったところ、たまたま通りすぎた場所が語学のコーナー。 NHKの語学コースのテキストを山積みにおいてあるコーナーでした。

時間がたっぷりあると思った僕は、このときも何気なくスペイン語のテキストを手に取りました。だいたいNHKのこのコースのレベルはいつも初心者向けで、あまりにも簡単なので見る気をすぐに失うのですが、ラジオ口座だったために結構興味深く、内容も新鮮かつ、有益なものと写ったのです。

これは買って見る価値ありかなと思ったので、早速レジに持って行って、購入しました。

でも大きな副産物を見つけました。DELEです、いつも今回は受験しようと思っていたDELEの受験の案内がありました。時期もぴったりです。

先週も仕事は超がつく忙しさだったけど、昼休みに会社のパソコンでDELEの申込書をダウンロード。そして昨日名前を書くと同時に良く確認しました。まず受験料を払う必要があるのが分かったので、今月中に受験料を払って11月の受験を間違いなく行おうと思っています。

毎年毎年ろくなことがないけれど、書道とスペイン語の鍛錬は欠かさずにしようと決心しました。書道はそれなりに順調といえるけど、次はスペイン語。今年はなんとかいやーなムードを断ち切らなければ!

亀有の思い出2009-09-07 21:50:57

何週間前からでしょうか?テレビで実写版のこちかめをやるようになりました。毎週土曜日です。 僕はあまり芸能人に興味がないので、両さん役の名前を知りませんが、ラサール石井がその親父役をやっています。漫画ではラサールが両さんの声優です。

ずいぶん長いこと連載が続いている漫画みたいですが、僕がこれに関心があるのはただ僕のふるさと亀有が出てくる、それだけのことです。

小学校の低学年まで僕は亀有で過ごしました。幼稚園は今はもうなくなりましたが、教会幼稚園。小学校は亀青小学校に通っていたのです。亀青の名前の由来はもちろん亀有の亀と青砥の青。青戸には中がくりぬきになった大きな木のある公園があって、そこに数回遊びに行きました。

でも純粋なふるさとは亀有です。 近所にはおせっかい焼きのおばちゃんがたくさん居ました。 近所の住人は本当に個性のある人たちばかりだったように思います。

子供の僕は学校から帰ると近所の駄菓子屋に行きました。数十円程度のお金を母親からもらって、それを握り締めて駄菓子屋に通いました。

僕の家から垣根を越えて、どぶ川を越えるとすぐに駄菓子屋がありました。そこにはやさしいおばあさんが居て、小うるさい子供たちの相手をしていました。当時何を買っていたのかはあまり覚えていないけど、小さな四角い箱にオレンジの味がする小さなガムとか買ったような記憶があります。こちかめにも駄菓子やの話が出ていましたので、とても懐かしかった。でも当時の駄菓子屋にはきれいなお姉さんはいなかったし、ギンギンきらきらでもありませんでした。

さて、僕の家にの庭にはイチジクの木がありました。アジサイの花と、イチジクの木、ボタンの花と、もくれん。これが今の僕が覚えている家の庭の風景。そして当時の写真がまだ残っています。当時は珍しかったと思うカラー、当時はカラーとは言わずになんだろう、別の言い方があったみたい。

この写真をデジタル処理して残したいものです。 セピア色ではない実にリアルな思い出です。

Adriana2009-09-08 10:54:01

もうはるか40年も昔のこと。最近急に思い出して、ふとここに書きたくなりました。

当時僕は小学校の3年生。生まれて初めて日本を飛び出し、父の仕事で中米Hondulasにいました。秋の頃です。日本では東京のオリンピックが終わり、世の中が少し落ち着きかけた頃だったのだろうと思います。 東京とは打って変わった環境での生活を始めていました。

学校は私立の学校。Instituto Tegucigalpaというのがその学校の名前です。現地の中流以上の家庭の子供たちと一緒の生活をしていました。日本人は僕一人。言葉はまったく分からず、毎日校庭の片隅で一人たたずんでいたのを覚えています。

制服がグリーンと白っぽいベージュで、毎日制服を着て車に乗って学校に行きました。昼休みは一度家にもどって昼食をとり、また午後から学校に行くという生活です。

タイトルのAdrianaというのは実はその街にあったレストランの名前です。首都のTegucigalapaから南に車で向かい、小さなでも唯一の空港、トンコンティンを超えてさらに南下し、小路を下った渓流の近くにあったレストランです。木立の中にこじんまりとした小屋風の建物が建っており、木々にはたくさんのコンゴウインコが大きな声で騒いでいる風雅なレストランでした。時には人についてきたりします。あまりに大きな鳥なので、子供には少々恐怖さえ感じさせる、そんな変わった空間でもありました。建物の中に入ると、木製の床の上には松の葉っぱが敷き詰めてあり、なんとも良い香りがしたような記憶がありますが、定かではありません。

このレストランでお気に入りだったのは、タコス。トルティーヤに包まれて、中にジューシーなお肉が入っていておいしかったのを覚えています。それと真っ白なチーズのような日本の豆腐のような不思議な食べ物。家族が妙に気に入った食べ物でした。特に亡くなった母が好きだったのを覚えています。

なぜ、今になってこんなことを思い出したのでしょう?Adriana。辞書によると単に人の名前としか出ていませんでした。アドリア海と関係がある名前なのかも知れません。

昨日に続いてちょっと昔話をしてみました。

MRJ & 7872009-09-10 22:54:49

昨日日本のMRJの設計変更のニュースが各紙に出ていました。 三菱重工の子会社が開発中の国産ジェット旅客機です。

何でも、室内の高さを少し高くし、オーバーヘッドコンソールのキャパを広げ、主翼をアルミに変更するのが主なポイントのようでした。

これにより納入開始が3ヶ月遅れるということ。でも欧州等の顧客の意向を反映したものであるため、販売に与える影響はほとんどない。むしろ顧客の希望に合った仕様となるため、より受注がとりやすくなるろ言うような報道かつ三菱航空機の発表でした。

いまだに全日空からの発注しかないので、確かにこれで他にも注文が取れればよいのでしょうね。

さて、一方同じ飛行機ながらとっても気になるのがBoeing787です。先月末にはまたもや初飛行の遅れと、納入開始時期の遅れが発表されました。胴体構造の強度不足という話で、このための設計変更と改修が必要となれば、かなりのダメージだと思います。

同じく全日空がローンチカスタマーなわけですが、この初飛行を行う飛行機を納入された全日空機に乗る気には今のところなれません。

本当に大丈夫なの?というのが率直な感想です。

世の中エコロジーに走っていて、従来のエコと関係がない製品はどんどん廃棄の憂き目にあうと思いますが、そこにもエコに反した何かが起きなければ良いと思います。

何はともあれがんばれ、MRJ