楽しい哉人生は - 2,0892021-06-05 16:38:01

土曜日の今日は、本当ならまた日本語のレッスンが朝あるはずなのですが、昨夜のうちに仕事の都合で出来ないと生徒が言って来たので、結局何の予定もない1日になりました。

たまに晴れ間が出てくるものの、ほぼ曇り空の1日で、ただ昨日の雨が上がったのが何よりも嬉しかった朝になりました。

昨日はその雨のお陰で大して散歩が出来ず、今日は昨日の分を取り戻すつもりで頑張って歩いて来ました。

時折晴れ間が見えて、ちょっと蒸し蒸ししていたけれど、風は爽やかだったので、歩きやすかったです。お陰で朝のうちに5キロ以上の距離を歩いて、一旦帰宅しました。

帰宅後は、車でいつも行く神社にお参りに行って、帰って来てからもう一度散歩に出ました。そんな訳で今日は8キロ以上歩いて大満足の散歩になりました。

さて、この写真は前回のブログで取り上げた同じお寺に掲載されていたものです。

僕にはイマイチよく理解できない部分があるのですが、それは「日夜に去るを覚らざるなり」というくだりなのですが、どう言う意味なのでしょうね。「無限の繋がり時の中」と言う部分も分かったようでよく分かりません。もしかして仏教の何かに出てくる文言なのでしょうか。無量寿経と書かれているのでもしかしたらそうなのかも知れませんね。

僕は元々無宗教の人間なので、特に寺院に興味があるとか、神社仏閣に興味があるとか、仏教の経典とかに興味があると言うことはないのですが、たまたま今日も通りがかったお寺の前にこのような言葉が書かれていたので、ちょっとなんだろうと思った次第なのです。

最近、特に昨年からの在宅勤務後神社に足繁く通うようになりましたが、それはお願い事が出来るからで、お寺では願い事をしては行けないと言われているので、あまり行きません。自分の親の墓前を訪ねて墓のあるお寺に行くくらいか、京都や奈良に行った時に芸術的な興味からお寺廻りをする位で、家の近所の寺に行ったことはほぼありません。

この写真の寺には一度だけ中に足を踏み入れたことがあるけれど、そこにちょっと有名なお地蔵様が祀られているからで、そもそもお寺そのものに興味はありません。

僕の勝手なイメージですが、お寺は現生と来世の番人みたいな所だと思っているので、むしろ僕みたいな無関係な人間は中に足を踏み入れては行けないんだろうと思っている位なのです。

その点、神社はお願い事をして良い場所だと理解しているので、散歩の途中や、今特に通っている神社にはなるべく行こうと思っています。でも、基本的には地元の神社と通っている神社でだけお願い事をするようにしています。僕の中では神社は今のこの世の中を守ってくれている神様のいる場所なのです。

そんな訳で、いつかお伊勢参りをしたいと思っていますが、残念ながらまだ一度もお伊勢参りには出かけたことがありません。

出雲大社には学校の修学旅行で行った事がありました。それ以来同じく一度も行っていないので、できれば出雲大社にも一度お参りしたいなと思っています。

さて、今日の散歩ですが、流石に8キロ以上歩いたので、結構疲れました。でも、この写真の光景だけでなく、道端で咲いていた紫陽花の花を見ながら楽しく歩くことが出来たので、昨日の雨の中濡れ鼠になって帰ってきた分を今日は取り返すことが出来たと思っています。

どうやら、そろそろ梅雨に入りそうです。明日も雨のマークが出ているので、もしかしてあまり長い時間散歩に出ることは出来ないかも知れませんね。でも傘をさしながらでも頑張ろうと思っています。