益子の思い出2025-03-16 13:59:40

この週末はあまり天気が優れませんでしたね。日曜日の今日は朝からずっと雨。その雨のせいか結構寒い1日になっています。

そして、昨日の土曜日は曇天。雨こそ降らなかったものの今にも雨が降りそうな雲行きになり、ちょっとぱらぱらと小雨が落ちてきた時間もありました。

そんな土曜日、朝からとても久しぶりに栃木県益子町に行ってきました。

ふとしたきっかけで、車を替える事になって、今の愛車で最後のロングドライブに出ようと思って、行き先に決めたのが益子町でした。

益子と言えば陶器、益子焼で有名ですが、まさにその益子焼を目当てにしたドライブでした。

帰宅して調べてみたら、前回益子に行ったのは6年前の事でした。実は益子町、結構好きなのです。もちろんその理由は益子焼にあります。時々とても素敵な陶器に出会えるので、たまに行きたくなるのですが、まさか前回行ってから6年も経っていたとは、ちょっと驚きでした。何しろコロナ禍で、旅行等控える傾向があって、すっかり足が遠のいていたのです。

そして、その益子に着いて、城内坂と言われる陶器のお店が立ち並ぶ小洒落た坂道を歩いていたら、初めて益子に来た時の事を思い出していたのです。

もう、2度と書くまいと決めていた別れた人のことですが、今回だけその禁を破ってちょっと書いてみようと思います。

それはもう何年前の事だったでしょうか?軽く10年以上の歳月が流れ過ぎましたが、当時お付き合いしていた彼女と鬼怒川温泉に行きました。そして、その帰途まっすぐ帰るのは勿体無いと彼女に行きたい所を聞いたら帰ってきた答えが益子でした。

僕は迷わずその益子に向かって車を走らせ、初めてその陶器の街を散策しました。

あの時に入った、イタリアン風のレストランというかカフェというかも健在で、一緒に入った陶器のお店も健在でした。あの当時とお店の感じはほとんど変わりなく、そのせいかすっかり当時の事を思い出してしまったのです。

あれから随分長い年月が過ぎ去りましたが、別れて10年以上になる彼女が今もどこかで元気にしている事を思わず祈らずにはいられない気分になりました。

もう2度と帰らぬ日々ですが、ふとした瞬間にその当時の事が脳裏に過ぎるのですね。

今や、どこにいるのかもわからない遠い存在ですが、どうかお元気でお過ごしください。

シュターミッツ第一楽章卒業?2025-03-14 12:50:39

今週は今月初のフルートレッスンがありました。3月初のミニ発表会は体調不良で欠席してしまい、その前の2月のレッスンは先生が体調を壊されてキャンセルになっていたので、なんだか久しぶりに先生に会うのでちょっと緊張しました。何しろこのところちょっと練習がちゃんと出来ていなかったのと、先日これまでレッスンで演奏していた楽器を売ってしまい、今回先生とのレッスンで初デビューになる比較的新しい楽器を持って行ったことも原因でした。

教室に着くまで、そんな訳で少し緊張気味に出かけたのです。

そして、教室に着くと、先ずは先日の発表会に欠席したお詫びをして、先生からその時の話を少し聞きました。当日のプログラムなんかも頂いて、そこに自分の名前があったにも関わらず出席できなかった事を実感してしまいました。

そして、その後先生にフルートを替えた事を報告し、早速いつもの音出しから始めました。フルートのブランド名を先生に伝えたところ、そのブランドのフルートの特徴について教えて頂きました。そして、「一生物の買い物ですからね」と言われた時には、この子をずっと大切に吹いて行きたいと決意に似た気持ちになりました。ありがとうございます。

ところで、吹き始めは緊張していたせいか、家で吹いている時の様に音が出ず、ずいぶん焦りましたが、その後の久しぶりのガリボルディの練習曲では、散々な結果になりました。結構難易度の高い練習曲だと思うのですが、トリルが連続するなかなかの曲なのに、ずっと発表会の課題曲ばかりに集中してきた為に、全然吹けなくなっていたのです。

改めて先生から練習の仕方を教えて頂き、今後はその方法で練習していこうと思います。

そして、最後にシュターミッツです。本来発表会で吹く予定の曲で、それを元にこの曲を卒業するはずだったのですが、この日は改めてこの曲の第一楽章を通して演奏しました。何しろ音出しから始まってガリボルディで散々だったので、ちょっとドキドキしましたが、日頃の練習の成果だったのか、いつも以上と言えるくらいにいい感じで演奏出来ました。まあ多少のミスはあったものの、ぎこちなさはなかったかなと言う感じでしたし、先生からも何点か指摘事項は受けたけれど、だいぶ良かったと評してもらえました。この日はもう一度この曲を通して演奏し、ところどころの間違いを都度指摘して頂き直して行きました。

およそ45分ほどのレッスンでしたが、最後に第一楽章は今回で終わりにして、次回からは第二楽章に挑戦することになりました。そして、その後先生から新しいフルートの評価も頂きました。良かったと言って頂けたので、この日は満足してレッスンを終え、帰宅しましたが、早速今夜から先生の指摘を思い出しながら練習を開始しようと思っています。

先生には本当に感謝です。

3.11のドナドナの話2025-03-12 10:37:09

この週末はちょっと京都に遊びに行って来ました。

たまたま知った京都の禅寺の建仁寺で、双龍の天井画が公開されていると言うので、ぜひ一度見てみたいと思って、土曜日の朝に出発して、その日の午後その双竜を見学して来ました。

ほとんど事前知識も無く行ったのですが、いざ目にしてみるとそのあまりの素晴らしさに、感動して涙が出そうになりました。これはとても良いものを見たと、大感激して日曜日の夕方帰って来たのです。



その帰りですが、初めて京都の駅の中を少し散策して来ました。京都駅ビルが凄いことになっていることは、知ってはいましたが、今回初めてその中に足を踏み入れて、その壮大さに驚きました。そして、ビルで言うと何階になるのか分かりませんが、一番上の階まで登ってみると、京都の街がかなり一望出来て、この日本でも貴重な古都の景観が大きく変わって行っているのを実感しました。まさか古の都人は京の都がこんなになるとは想像もできなかっただろうなと思います。

ただ、京都のいいところは貴重な昔からの景観も大切に守られている事で、やっぱり何度来ても良いなと思いつつ後ろ髪を引かれて帰って来たのです。

建仁寺に行ったのも大正解でしたし、その日の夜は京都のおばんざいを頂きました。とても充実した良い週末を過ごさせてもらいました。願わくば、せっかくの禅寺に行ったので、尺八をあの場で吹けたらきっといいだろうなと思いましたが、それは叶わぬ夢ですね。

そして、昨日はもう14年目になると言う3.11でした。

この日は、3本持っているフルートの内の1本を買取してもらおうかと思って、業者の来るのを待っていたのですが、午前中にその業者がやって来たので、このフルートを見てもらいました。



思えば、フルートを再開するにあたり中古で購入したヤマハのフルートですが、もう3年以上練習してきた愛機なので、とても愛着があったのですが、かといってプロの奏者でもないのに、フルートを3本も持っていても仕方ないだろうと思い、意を決して業者を呼んだのです。査定の結果は最初5万円を提示されました。僕の期待値には及ばなかったので、検討すると言ったら、上司に相談すると言って、もうちょっと上乗せした値段を提示されました。

後ろ髪を引かれたのは事実ですが、止むなくと言うか、仕方ないと思い決断して買取してもらいました。

そんな訳で、この愛機はすでに僕の手を離れて「ドナドナ」されて行ってしまいました。(泣)

そしてこの日は約1年半前に買ったムラマツのフルートでいつものようにシュターミッツのコンチェルトを練習し、3.11なので「花は咲く」を演奏して練習を終えました。

僕にとっての3.11の14年前は色々な事が起きた年でもあり、当時の事を思い出したらなんとも言えない気持ちになりました。何よりも、転職をしたり、あの日の夜、寒い中を東京六本木から自宅のある千葉県を目指して歩いた記憶が蘇りました。

「花は咲く」を吹きながら、そんな感慨に浸り、去っていった愛機のフルートの事や、京都の旅の事やらを思い出しつつ、僕の14年目の3.11が終わりました。

自分で着れる男になりたい!2025-02-09 18:22:31

先週は月に2回のフルートレッスンの1回目がありました。

何しろ3月初めにはプチ発表会みたいなイベントがあると言うので、本人はとても焦っていて、当日はいつもの様に音出しのロングトーンから始めたのですが、何だか音が上擦っていたと言うのか、ちゃんと音が出なくてかなり焦りました。緊張したりするといつもの様なアンブシュアが出来ずにおかしな音になってしまうのですが、この日はまさにそんな状態でした。

それでも、課題曲のシュターミッツのコンチェルトの第1楽章を今回はカデンツァも含めて吹きました。全くダメダメだなと感じましたが、とにかく初めてカデンツァも吹いたので、一先ずこの日は良しとして、帰って来たのです。

どう言うわけか、先週は仕事が忙しく、ほぼ毎日事務所に出かける毎日だったので、あまり練習時間がとれず、そんな状況も焦りにつながっていたのですが、せっかくレッスンでカデンツァも練習したと言うのに、その後あまり練習できていません。

そんな中週末を迎えて、土曜の夜はいつものMURAMASTUのフルートで練習したら、今回は良い音が出せました。これからは毎回MURAMASTUにしようかなと思った位、良い気分で吹けたのです。おかげでカデンツァの練習も頑張れました。

今夜も同じ様に練習しようと思います。

そして、プチ発表会ではフルートアンサンブルに初挑戦すると言うので、先生から楽譜をもらって来ました。

ショパンの有名な「華麗なる大円舞曲」と「見上げてごらん夜の星を」の2曲ですが、ショパンは第1フルートを、そして見上げては第2フルートを担当します。この2曲も頑張って練習しないといけないのでますます焦りが出て来ています。

おまけの「わたしのかわいいお人形」は最近お気に入りの曲で、ちょっとした合間にリラックスして吹いています。

そして、3月にはもう一つ大きなイベント、尺八の発表会があります。

そっちはまさに発表会で、去年は初めて和服を着て演奏しましたが、何しろ自分で着物を着ることが出来ないので、今日は自分で着られる男になりたいと言うことで、銀座まで着付け教室に行って来ました。小一時間教えてもらって、果たして自分で着られるようになったかどうか、まだ不安ですが、3月の発表会までにはなんとか自分で着られる様になりたいと思います。

ただ、着物は着流しではちょっとだらしないと言うのか、あまり外出には向かないなと思うので、課題は袴を自分で履けるようになるか、それとも羽織を着るかして着物を着て外に出てみたいなと思い始めました。

もしかして、着物を着てフルートを吹くなんて事もありうるのかななんて思っています。

何だかますます楽しくなって来ましたよ。

西洋文化への憧憬と日本文化への回帰2024-12-31 10:34:23

今日は大晦日。2024年もあと残すところ数時間になってしまいました。

思い返すと、今年は初の尺八発表会に、人生2度目のフルート発表会と、年初から音楽にかなりの意識が向いていました。でも、世界情勢や自然災害と気掛かりなこともたくさんあって、必ずしも良い一年ではなかった様な感じがします。迎える2025年は良いとしになるといいなと心から思いますが、まだまだ気掛かりなことが世界では沢山起こっているので、どうしてもそっちの方にも目が向いてしまいます。

ところで、今回のお題ですが、ちょっと最近思っていることがあって、それについて個人的な思いを綴ってみようと思います。

若かりしころは、海外に憧れ、特に欧米というか僕の場合は欧州の文化が好きでした。その背景には、子供の頃に出会ったチャイコフスキーのピアノコンチェルトのLPを聴いたことの影響が少なからずあったと思います。旧ソ連のピアニスト、エミール・ギレリスの弾くチャイコフスキーがとても子供心に耳に残って、それ以来音楽はクラシック系に傾くようになりました。

そして、成長するに伴い、欧州の文化は素晴らしいなと思う様になり、欧州に憧れのような、でもちょっと近寄りがたさという様な気持ちを抱いていました。その一方で日本文化はカッコ悪いなとか、ダサいなとか感じていたように思います。高校生になる頃には、すっかりクラシックの、特にピアノとフルートにハマり、頻繁にLPレコードを買っては聴いていました。今年亡くなられたマウリツィオ・ポリーニは大好きなピアニストでした。

その後、偶然にも欧州生活をする様になり、ますます欧州の生活に慣れるに従い、その文化に音楽だけでなく、絵画の世界にもハマり、休みの日には色々な美術館に行っては古典や近代の作品を鑑賞して、満足していました。

でも、一方でそんな自分に何か違和感を感じ出したのもその頃でした。住んでいたオランダのその街は大好きだったし、気軽にパリや大好きなスペインに行かれる生活にも大満足だったものの、彼らの文化を見るにつけ、自分は日本人であることを意識するようになったのです。

そして、日本に帰国後、何か自分が生きてきた証を残したいと思うようになり、始めた書道でしたが、何年か続け数点の作品を掛け軸にしたり額に入れたりして残すことが出来るようになりました。

この頃から、ますます自分のルーツである日本と言う国とこの国の文化に関心を深め、コロナのせいで在宅勤務になった事で、たまたま出会った尺八とその師匠と尺八の練習を始めるようになり、今ではすっかり尺八にハマってしまっています。

ただ面白いことに、高校時代に密かに練習していたフルートに対する思いも回帰してきて、半世紀近くも眠っていたフルートを引っ張り出して吹き始めたのは、尺八との出会いがきっかけでした。

尺八は尺八で素晴らしいと思うと共に、西洋楽器のフルートの魅力にも取り憑かれ、今や二兎を追う日々を送っていますが、これが実に自分の人生に彩を与えてくれていて、仕事のことやら、世情やら、世界情勢やらをひとまず忘れて楽しむことが出来ています。

2025年も変わらずこの2つの楽器に夢中になっていられることを望みたいと思いながら、大晦日の1日を過ごしています。

来年は、災害等起こらない良いとしになると良いですね。そして、もう2度と会うことがなくなった、あの頃大切に思っていた人の健康と幸せも陰ながら祈りつつ、また新しい年を頑張って生きていこうと思います。