楽しい哉人生は - 2,086 ― 2021-06-01 14:41:05

6月になりました。2021年も早半年余りが過ぎようとしています。早過ぎじゃ無いかと思いますが、これが現実なのですね。
未だ半分終わってはいないとは言え、ちょっと振り返ると、6年あまり勤めた会社を退職し、また別の会社に勤めると言う大きな変化を経験しました。
通常の転職であれば、自分の意思で仕事を変えるので心の準備も出来ているでしょうが、今回の仕事先の変更は、所謂転職ではなくて、急遽決まった子会社への移籍退職みたいなものだったので、心の準備とかもなく、またぜひこの会社で仕事をしたいと言う意思があった訳でもありません。
そんな中、既に2ヶ月が過ぎましたが、このコロナ禍で会社に行ったのは1度だけ。他の社員に会ったのもその時の1度だけで、いまだに相手がよくわからないまま、オンラインでミーティングしたり、一人でメールをうって返事を待ったりの生活です。
おまけに僕の前任者は退職してしまうし、未だによく分からない中、手探りで仕事をせざるを得ず、正直不安が日々大きくなって来ていると言う感じです。
長期間の在宅勤務と仕事先の変更があって、ちょっと精神的に落ち込むようになって来ました。
こんな時は少し気分転換しなきゃいけないのでしょうけど、果たして何をしたら気分転換になるのやら。
例えば、毎日散歩をして少し気分を変えてみても、やはり思い出してしまうのは今の状況です。その現実から逃れることは出来ないのです。現実から逃れるとしたら、改めて転職するしかありません。でも、そうそう転職先なんてないし、転職が成功するとも限りません。
希望は、今のプロジェクトから別のプロジェクトにアサインされる事なのかなと思っています。
さて、この写真は今朝の散歩で撮ったものです。ローカル線の電車の線路を撮ったほとんど意味のない写真です。
僕は鉄道ファンではないし、いわゆる撮り鉄でもありません。でも、散歩の途中で跨線橋を渡っていたら、こんなローカル電車の線路に何故か興味を持ちました。
この線路は単線で、1時間に数本の2両編成の電車が走っているのですが、その車両はどこかの私鉄の払下げで、なんともノスタルジックな感じがします。散歩の最中に数回利用した事がありますが、最新の電車と違って、走っている際に揺れが大きく、それが却ってノスタルジーを誘います。
果たしてこの鉄道は黒地経営できているのだろうかとか、考えてしまいます。例えば、銚子電鉄の様に、青色吐息の経営をしている会社もあると聞きます。
でも、この鉄道は割と人口も多い市を跨って走っている鉄道なので、工夫次第でもっと乗客が増えそうな気がするのですが、僕の目で見る限りなんだか昔ながらの古い経営方針で何の革新もせず経営していると言う感じがしました。
正直、もっと攻める経営をすべきじゃないのかと思ったりしましたが、まあ素人の感想なので、そう簡単なものではないのでしょうけど。
なんだか今の仕事がイマイチ面白くないので、少し変な方向に思考が向かっているのかもしれません。
でも、何かやってて楽しい仕事がしたいなと思います。そうすれば今の精神状態が大きく変わるんだろうなと思うのです。
未だ半分終わってはいないとは言え、ちょっと振り返ると、6年あまり勤めた会社を退職し、また別の会社に勤めると言う大きな変化を経験しました。
通常の転職であれば、自分の意思で仕事を変えるので心の準備も出来ているでしょうが、今回の仕事先の変更は、所謂転職ではなくて、急遽決まった子会社への移籍退職みたいなものだったので、心の準備とかもなく、またぜひこの会社で仕事をしたいと言う意思があった訳でもありません。
そんな中、既に2ヶ月が過ぎましたが、このコロナ禍で会社に行ったのは1度だけ。他の社員に会ったのもその時の1度だけで、いまだに相手がよくわからないまま、オンラインでミーティングしたり、一人でメールをうって返事を待ったりの生活です。
おまけに僕の前任者は退職してしまうし、未だによく分からない中、手探りで仕事をせざるを得ず、正直不安が日々大きくなって来ていると言う感じです。
長期間の在宅勤務と仕事先の変更があって、ちょっと精神的に落ち込むようになって来ました。
こんな時は少し気分転換しなきゃいけないのでしょうけど、果たして何をしたら気分転換になるのやら。
例えば、毎日散歩をして少し気分を変えてみても、やはり思い出してしまうのは今の状況です。その現実から逃れることは出来ないのです。現実から逃れるとしたら、改めて転職するしかありません。でも、そうそう転職先なんてないし、転職が成功するとも限りません。
希望は、今のプロジェクトから別のプロジェクトにアサインされる事なのかなと思っています。
さて、この写真は今朝の散歩で撮ったものです。ローカル線の電車の線路を撮ったほとんど意味のない写真です。
僕は鉄道ファンではないし、いわゆる撮り鉄でもありません。でも、散歩の途中で跨線橋を渡っていたら、こんなローカル電車の線路に何故か興味を持ちました。
この線路は単線で、1時間に数本の2両編成の電車が走っているのですが、その車両はどこかの私鉄の払下げで、なんともノスタルジックな感じがします。散歩の最中に数回利用した事がありますが、最新の電車と違って、走っている際に揺れが大きく、それが却ってノスタルジーを誘います。
果たしてこの鉄道は黒地経営できているのだろうかとか、考えてしまいます。例えば、銚子電鉄の様に、青色吐息の経営をしている会社もあると聞きます。
でも、この鉄道は割と人口も多い市を跨って走っている鉄道なので、工夫次第でもっと乗客が増えそうな気がするのですが、僕の目で見る限りなんだか昔ながらの古い経営方針で何の革新もせず経営していると言う感じがしました。
正直、もっと攻める経営をすべきじゃないのかと思ったりしましたが、まあ素人の感想なので、そう簡単なものではないのでしょうけど。
なんだか今の仕事がイマイチ面白くないので、少し変な方向に思考が向かっているのかもしれません。
でも、何かやってて楽しい仕事がしたいなと思います。そうすれば今の精神状態が大きく変わるんだろうなと思うのです。
楽しい哉人生は - 2,087 ― 2021-06-02 16:35:40

今朝は本当は早朝ミーティングがあるはずでした。アメリカとのミーティングなので早朝なのですが、どうやら夜中にそのミーティングの延期メールが入っていた様で、今朝起きて支度を終えて、いざミーティングにと思ったら、その予定が明日に変わっていました。
何しろ慣れない仕事で、おまけに相手がアメリカなのでいつも緊張するのです。今朝も緊張した気分でいざ自分のスケジュールを見たら、そのミーティングが消えていたので、嬉しいというか、やれやれ明日かと言う感じで、肩透かしを喰らった気分になりました。
そんな訳で、今朝はちょっと遅れていつもの散歩に出たのですが、やっぱり調子が狂ったのか、しばらく歩いたらお腹が痛くなってきて、やむ無く途中で引き返して来たんです。今朝はわずか30分程度の散歩で終わってしまったので、どうにもそれが気がかりで、10時頃にちょっと再度の散歩に出る事にしました。
ところで、散歩でこんな花が咲いているのを見つけました。
もう朝顔の咲く季節なんですね。なんだかこの朝顔の花を見ていたら嬉しくなってしまいました。
今はどちらかと言うと、朝顔より紫陽花の季節だと思っていたのです。だから、朝顔の花を見るなんてとても意外で、それで嬉しく感じたのかも知れません。
朝顔って、小学生の頃に学校の校庭で咲いていたり、その朝顔の種を持ってきて家の庭に植えてみたり、なんだか昔からとても身近にあった花だったなと今更ながら思い出しました。
そして、最近では、2年前に行った京都で咲いていたのを思い出しました。
去年からずっとその京都に行きたいなと思い続けていて、でもこのコロナ禍で行く機会を失ったままになっています。
せめて今年こそと京都旅行を密かに企んでいます。今回の緊急事態宣言が解けて、オリンピックが終わる頃に京都に行かれたら嬉しいなと思うのです。
もうその頃には朝顔の花は咲いてはいないだろうけれど、でもきっと京都に行ったら今のなんともスッキリしない気分が少しは良くなるかも知れません。
まだ、うつ病と言う状態ではないけれど、この状態が続くのは決して精神的に良くないなと思っているのです。最近うつ病を告白したテニスの選手がいましたが、本当に鬱になると何もできなくなると言います。僕はそれでもなんとかミーティングに出たり、レポートしなければならない時には、そのレポートを出したり、曲がりなりにもやっているので、鬱では全くないと思っています。でも、ふとした事で鬱になり得るので、それをとても気にかけているのです。
思い返すと、この10年あまり精神的にはきつい事がありました。今はそれを封印しなんとか表に出さずにやっていますが、そんな過去の思いが突如表に出てこないとも限らないので、なるべく精神的に自分を追い詰めないように生きて行きたいと思います。
だから今の仕事であまり自分を追い詰めないようにしたいと思うし、そんな風にしないとできない仕事はもうしたくないなと思っているのです。
これからの人生は、なるべく好きな事をして、楽しく過ごしたいと思うのです。
何しろ慣れない仕事で、おまけに相手がアメリカなのでいつも緊張するのです。今朝も緊張した気分でいざ自分のスケジュールを見たら、そのミーティングが消えていたので、嬉しいというか、やれやれ明日かと言う感じで、肩透かしを喰らった気分になりました。
そんな訳で、今朝はちょっと遅れていつもの散歩に出たのですが、やっぱり調子が狂ったのか、しばらく歩いたらお腹が痛くなってきて、やむ無く途中で引き返して来たんです。今朝はわずか30分程度の散歩で終わってしまったので、どうにもそれが気がかりで、10時頃にちょっと再度の散歩に出る事にしました。
ところで、散歩でこんな花が咲いているのを見つけました。
もう朝顔の咲く季節なんですね。なんだかこの朝顔の花を見ていたら嬉しくなってしまいました。
今はどちらかと言うと、朝顔より紫陽花の季節だと思っていたのです。だから、朝顔の花を見るなんてとても意外で、それで嬉しく感じたのかも知れません。
朝顔って、小学生の頃に学校の校庭で咲いていたり、その朝顔の種を持ってきて家の庭に植えてみたり、なんだか昔からとても身近にあった花だったなと今更ながら思い出しました。
そして、最近では、2年前に行った京都で咲いていたのを思い出しました。
去年からずっとその京都に行きたいなと思い続けていて、でもこのコロナ禍で行く機会を失ったままになっています。
せめて今年こそと京都旅行を密かに企んでいます。今回の緊急事態宣言が解けて、オリンピックが終わる頃に京都に行かれたら嬉しいなと思うのです。
もうその頃には朝顔の花は咲いてはいないだろうけれど、でもきっと京都に行ったら今のなんともスッキリしない気分が少しは良くなるかも知れません。
まだ、うつ病と言う状態ではないけれど、この状態が続くのは決して精神的に良くないなと思っているのです。最近うつ病を告白したテニスの選手がいましたが、本当に鬱になると何もできなくなると言います。僕はそれでもなんとかミーティングに出たり、レポートしなければならない時には、そのレポートを出したり、曲がりなりにもやっているので、鬱では全くないと思っています。でも、ふとした事で鬱になり得るので、それをとても気にかけているのです。
思い返すと、この10年あまり精神的にはきつい事がありました。今はそれを封印しなんとか表に出さずにやっていますが、そんな過去の思いが突如表に出てこないとも限らないので、なるべく精神的に自分を追い詰めないように生きて行きたいと思います。
だから今の仕事であまり自分を追い詰めないようにしたいと思うし、そんな風にしないとできない仕事はもうしたくないなと思っているのです。
これからの人生は、なるべく好きな事をして、楽しく過ごしたいと思うのです。
楽しい哉人生は - 2,088 ― 2021-06-04 15:48:37

金曜日になりました。今日は朝から雨空です。風も少しあって、ちょっと荒れた天気と言っていいかも知れません。
そんな金曜日の朝ですが、今日も昨日に引き続き朝早くからミーティングでした。聞いていただけのミーティングなのですが、朝早いのと、エグゼクティブレベルのミーティングなので少し緊張しました。
そして、そんなミーティングが終わってすぐに、いつもの散歩に出ました。雨が降っているので傘をさしての散歩です。
あんまり嬉しい散歩ではありませんが、何しろ毎日欠かさずに歩いているので、歩かないわけには行かない気分だったのです。
でも、歩き出して10分もしたら履いていたズボンがびっしょりと濡れて来ました。そして、30分も歩くとすっかりズボンはずぶ濡れ。脚にまとわりついて気持ち悪くなりましたが、帰るにしてもまた30分は歩かなくてはなりません。
雨あしもだいぶ強くなってきたし、風は吹いているし、ズボンはずぶ濡れだし、今日はやむを得ず30分ほど歩いて帰ることにしました。
今日はそんな訳でだいぶ不満でしたが、小一時間ほど歩いて帰りましたが、家に戻った時にはズボンはびしょ濡れだし、着ていたシャツも濡れていたし、だいぶ不快感の残った散歩になりました。おまけに帰宅するとなんだか頭痛はしてくるし、ちょっと散々でしたね。
さて、最近いろいろ悩んでいることはここでも書きましたが、散歩の途中でこんな言葉に巡りあいました。とあるお寺の入り口に掲示されたいたものです。
果たして自分は自身の心に嘘をついていないだろうか?時々そんな事を思ったりするのですが、この言葉、一見するととても心が楽になる言葉ですが、でも考えようによっては、自分の置かれた今の状況から逃げる口実にもなり得る言葉だと思うのです。
だから、何か逃げたくなるような状況に置かれた時の逃げ口実にならないように、慎重に考える必要のある言葉だと思うのですね。
この苦しい状況、嫌な仕事をやめてしまって、もっと自分らしい仕事に就きたいとか思っても、現実問題生活のこととか、今の経済情勢とか、雇用状況とか、考えることは多々あるし、本当に今の仕事から逃げたいのか、それとも実は今の仕事自体が自分には合っているんじゃないだろうかとか、やっぱり悩むと思います。
では、なぜこのような言葉をお寺が掲載するのでしょうか?この言葉にはもっと何か奥深いものが含まれているんじゃないだろうか?そんなことも考えてみました。
少なくとも安易な考えで自分に正直になりたいと言って、今の状況から逃避する事だけはしないようにしたいと思いますね。
そして、大事なのは素直になることなんじゃないかと思いました。
そんな金曜日の朝ですが、今日も昨日に引き続き朝早くからミーティングでした。聞いていただけのミーティングなのですが、朝早いのと、エグゼクティブレベルのミーティングなので少し緊張しました。
そして、そんなミーティングが終わってすぐに、いつもの散歩に出ました。雨が降っているので傘をさしての散歩です。
あんまり嬉しい散歩ではありませんが、何しろ毎日欠かさずに歩いているので、歩かないわけには行かない気分だったのです。
でも、歩き出して10分もしたら履いていたズボンがびっしょりと濡れて来ました。そして、30分も歩くとすっかりズボンはずぶ濡れ。脚にまとわりついて気持ち悪くなりましたが、帰るにしてもまた30分は歩かなくてはなりません。
雨あしもだいぶ強くなってきたし、風は吹いているし、ズボンはずぶ濡れだし、今日はやむを得ず30分ほど歩いて帰ることにしました。
今日はそんな訳でだいぶ不満でしたが、小一時間ほど歩いて帰りましたが、家に戻った時にはズボンはびしょ濡れだし、着ていたシャツも濡れていたし、だいぶ不快感の残った散歩になりました。おまけに帰宅するとなんだか頭痛はしてくるし、ちょっと散々でしたね。
さて、最近いろいろ悩んでいることはここでも書きましたが、散歩の途中でこんな言葉に巡りあいました。とあるお寺の入り口に掲示されたいたものです。
果たして自分は自身の心に嘘をついていないだろうか?時々そんな事を思ったりするのですが、この言葉、一見するととても心が楽になる言葉ですが、でも考えようによっては、自分の置かれた今の状況から逃げる口実にもなり得る言葉だと思うのです。
だから、何か逃げたくなるような状況に置かれた時の逃げ口実にならないように、慎重に考える必要のある言葉だと思うのですね。
この苦しい状況、嫌な仕事をやめてしまって、もっと自分らしい仕事に就きたいとか思っても、現実問題生活のこととか、今の経済情勢とか、雇用状況とか、考えることは多々あるし、本当に今の仕事から逃げたいのか、それとも実は今の仕事自体が自分には合っているんじゃないだろうかとか、やっぱり悩むと思います。
では、なぜこのような言葉をお寺が掲載するのでしょうか?この言葉にはもっと何か奥深いものが含まれているんじゃないだろうか?そんなことも考えてみました。
少なくとも安易な考えで自分に正直になりたいと言って、今の状況から逃避する事だけはしないようにしたいと思いますね。
そして、大事なのは素直になることなんじゃないかと思いました。
楽しい哉人生は - 2,089 ― 2021-06-05 16:38:01

土曜日の今日は、本当ならまた日本語のレッスンが朝あるはずなのですが、昨夜のうちに仕事の都合で出来ないと生徒が言って来たので、結局何の予定もない1日になりました。
たまに晴れ間が出てくるものの、ほぼ曇り空の1日で、ただ昨日の雨が上がったのが何よりも嬉しかった朝になりました。
昨日はその雨のお陰で大して散歩が出来ず、今日は昨日の分を取り戻すつもりで頑張って歩いて来ました。
時折晴れ間が見えて、ちょっと蒸し蒸ししていたけれど、風は爽やかだったので、歩きやすかったです。お陰で朝のうちに5キロ以上の距離を歩いて、一旦帰宅しました。
帰宅後は、車でいつも行く神社にお参りに行って、帰って来てからもう一度散歩に出ました。そんな訳で今日は8キロ以上歩いて大満足の散歩になりました。
さて、この写真は前回のブログで取り上げた同じお寺に掲載されていたものです。
僕にはイマイチよく理解できない部分があるのですが、それは「日夜に去るを覚らざるなり」というくだりなのですが、どう言う意味なのでしょうね。「無限の繋がり時の中」と言う部分も分かったようでよく分かりません。もしかして仏教の何かに出てくる文言なのでしょうか。無量寿経と書かれているのでもしかしたらそうなのかも知れませんね。
僕は元々無宗教の人間なので、特に寺院に興味があるとか、神社仏閣に興味があるとか、仏教の経典とかに興味があると言うことはないのですが、たまたま今日も通りがかったお寺の前にこのような言葉が書かれていたので、ちょっとなんだろうと思った次第なのです。
最近、特に昨年からの在宅勤務後神社に足繁く通うようになりましたが、それはお願い事が出来るからで、お寺では願い事をしては行けないと言われているので、あまり行きません。自分の親の墓前を訪ねて墓のあるお寺に行くくらいか、京都や奈良に行った時に芸術的な興味からお寺廻りをする位で、家の近所の寺に行ったことはほぼありません。
この写真の寺には一度だけ中に足を踏み入れたことがあるけれど、そこにちょっと有名なお地蔵様が祀られているからで、そもそもお寺そのものに興味はありません。
僕の勝手なイメージですが、お寺は現生と来世の番人みたいな所だと思っているので、むしろ僕みたいな無関係な人間は中に足を踏み入れては行けないんだろうと思っている位なのです。
その点、神社はお願い事をして良い場所だと理解しているので、散歩の途中や、今特に通っている神社にはなるべく行こうと思っています。でも、基本的には地元の神社と通っている神社でだけお願い事をするようにしています。僕の中では神社は今のこの世の中を守ってくれている神様のいる場所なのです。
そんな訳で、いつかお伊勢参りをしたいと思っていますが、残念ながらまだ一度もお伊勢参りには出かけたことがありません。
出雲大社には学校の修学旅行で行った事がありました。それ以来同じく一度も行っていないので、できれば出雲大社にも一度お参りしたいなと思っています。
さて、今日の散歩ですが、流石に8キロ以上歩いたので、結構疲れました。でも、この写真の光景だけでなく、道端で咲いていた紫陽花の花を見ながら楽しく歩くことが出来たので、昨日の雨の中濡れ鼠になって帰ってきた分を今日は取り返すことが出来たと思っています。
どうやら、そろそろ梅雨に入りそうです。明日も雨のマークが出ているので、もしかしてあまり長い時間散歩に出ることは出来ないかも知れませんね。でも傘をさしながらでも頑張ろうと思っています。
たまに晴れ間が出てくるものの、ほぼ曇り空の1日で、ただ昨日の雨が上がったのが何よりも嬉しかった朝になりました。
昨日はその雨のお陰で大して散歩が出来ず、今日は昨日の分を取り戻すつもりで頑張って歩いて来ました。
時折晴れ間が見えて、ちょっと蒸し蒸ししていたけれど、風は爽やかだったので、歩きやすかったです。お陰で朝のうちに5キロ以上の距離を歩いて、一旦帰宅しました。
帰宅後は、車でいつも行く神社にお参りに行って、帰って来てからもう一度散歩に出ました。そんな訳で今日は8キロ以上歩いて大満足の散歩になりました。
さて、この写真は前回のブログで取り上げた同じお寺に掲載されていたものです。
僕にはイマイチよく理解できない部分があるのですが、それは「日夜に去るを覚らざるなり」というくだりなのですが、どう言う意味なのでしょうね。「無限の繋がり時の中」と言う部分も分かったようでよく分かりません。もしかして仏教の何かに出てくる文言なのでしょうか。無量寿経と書かれているのでもしかしたらそうなのかも知れませんね。
僕は元々無宗教の人間なので、特に寺院に興味があるとか、神社仏閣に興味があるとか、仏教の経典とかに興味があると言うことはないのですが、たまたま今日も通りがかったお寺の前にこのような言葉が書かれていたので、ちょっとなんだろうと思った次第なのです。
最近、特に昨年からの在宅勤務後神社に足繁く通うようになりましたが、それはお願い事が出来るからで、お寺では願い事をしては行けないと言われているので、あまり行きません。自分の親の墓前を訪ねて墓のあるお寺に行くくらいか、京都や奈良に行った時に芸術的な興味からお寺廻りをする位で、家の近所の寺に行ったことはほぼありません。
この写真の寺には一度だけ中に足を踏み入れたことがあるけれど、そこにちょっと有名なお地蔵様が祀られているからで、そもそもお寺そのものに興味はありません。
僕の勝手なイメージですが、お寺は現生と来世の番人みたいな所だと思っているので、むしろ僕みたいな無関係な人間は中に足を踏み入れては行けないんだろうと思っている位なのです。
その点、神社はお願い事をして良い場所だと理解しているので、散歩の途中や、今特に通っている神社にはなるべく行こうと思っています。でも、基本的には地元の神社と通っている神社でだけお願い事をするようにしています。僕の中では神社は今のこの世の中を守ってくれている神様のいる場所なのです。
そんな訳で、いつかお伊勢参りをしたいと思っていますが、残念ながらまだ一度もお伊勢参りには出かけたことがありません。
出雲大社には学校の修学旅行で行った事がありました。それ以来同じく一度も行っていないので、できれば出雲大社にも一度お参りしたいなと思っています。
さて、今日の散歩ですが、流石に8キロ以上歩いたので、結構疲れました。でも、この写真の光景だけでなく、道端で咲いていた紫陽花の花を見ながら楽しく歩くことが出来たので、昨日の雨の中濡れ鼠になって帰ってきた分を今日は取り返すことが出来たと思っています。
どうやら、そろそろ梅雨に入りそうです。明日も雨のマークが出ているので、もしかしてあまり長い時間散歩に出ることは出来ないかも知れませんね。でも傘をさしながらでも頑張ろうと思っています。
楽しい哉人生は - 2,090 ― 2021-06-07 16:30:32

また新しい週が始まりました。月曜日はとても憂鬱です。果たして今週の仕事はどんな展開になるのか、不安がかなりありますが、その不安を吹き飛ばすには、自分の理解度を高めるしかありません。そんな訳で、今日は特にミーティングもないので、朝からずっと自分の担当する仕事の中身をより良く理解することに努めました。だいぶ理解度が上がったので、少し不安が収まって来ていますが、これから起こることによってはまた展開が変わって来るので、日々チャレンジするしかありません。
さて、昨日は午前中にいつもの日本語レッスンをして、夕方はCarlosとのスペイン語レッスン。日本語の方はちょっとだけお金になりますが、その分Carlosで使っているので、プラマイ0ですね。
そして、今日は朝から1時間半近く歩いて、今日もまたかなりの距離を歩く事ができました。今日も散歩には満足しています。
ところで、僕は別に鉄道ファンでもないし、撮り鉄でもないのですが、先日ちょっと頑張って歩いていて、ローカル線の電車に遭遇しました。なんだかノスタルジックな電車なので、つい写真を撮ったのです。2両編成の電車が単線の線路を走っていったのですが、電車がレトロだと周りの風景の印象が変わりますね。
この鉄道会社の経営が順調かどうかは知りませんが、こういう鉄道って残って欲しいなと思います。
普段この電車に乗ることは全くないし、ちょっと乗ってみたいなと思ったのですが、目的は散歩。歩くことでしたから、電車に乗るのはやめました。
でも、いつかこの電車に乗ってみたいと思います。
関東地方のローカル電車って、色々ありそうですけど、例えば江ノ電とかちょっと興味があるし、大船あたりから出ているモノレールも乗ってみたいなと思っています。
その昔、上毛鉄道に乗った事がありましたが、あの電車もガタゴトと車体を揺らしながら走っていました。ちょっと懐かしいな。
鉄道ファンではないと書きましたが、でも鉄道の旅って結構楽しいですよね。
毎週、毎週土日には日本語のレッスンがあるし、自分のスペイン語もあるしで、結構忙しく、なかなか小旅行に出る事もできませんが、今度の日曜日はCarlosとのレッスンをお休みにしたので、ちょっとどこかに行ってみたい気がします。
車で出かけるのも好きだけど、今度ローカル線の電車に挑戦してみたくなりました。
さて、昨日は午前中にいつもの日本語レッスンをして、夕方はCarlosとのスペイン語レッスン。日本語の方はちょっとだけお金になりますが、その分Carlosで使っているので、プラマイ0ですね。
そして、今日は朝から1時間半近く歩いて、今日もまたかなりの距離を歩く事ができました。今日も散歩には満足しています。
ところで、僕は別に鉄道ファンでもないし、撮り鉄でもないのですが、先日ちょっと頑張って歩いていて、ローカル線の電車に遭遇しました。なんだかノスタルジックな電車なので、つい写真を撮ったのです。2両編成の電車が単線の線路を走っていったのですが、電車がレトロだと周りの風景の印象が変わりますね。
この鉄道会社の経営が順調かどうかは知りませんが、こういう鉄道って残って欲しいなと思います。
普段この電車に乗ることは全くないし、ちょっと乗ってみたいなと思ったのですが、目的は散歩。歩くことでしたから、電車に乗るのはやめました。
でも、いつかこの電車に乗ってみたいと思います。
関東地方のローカル電車って、色々ありそうですけど、例えば江ノ電とかちょっと興味があるし、大船あたりから出ているモノレールも乗ってみたいなと思っています。
その昔、上毛鉄道に乗った事がありましたが、あの電車もガタゴトと車体を揺らしながら走っていました。ちょっと懐かしいな。
鉄道ファンではないと書きましたが、でも鉄道の旅って結構楽しいですよね。
毎週、毎週土日には日本語のレッスンがあるし、自分のスペイン語もあるしで、結構忙しく、なかなか小旅行に出る事もできませんが、今度の日曜日はCarlosとのレッスンをお休みにしたので、ちょっとどこかに行ってみたい気がします。
車で出かけるのも好きだけど、今度ローカル線の電車に挑戦してみたくなりました。
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