楽しい哉人生は - 2,0042021-02-11 16:32:46

今日は建国記念日。皇紀2,681年らしいです。僕のこのブログは2,004だけど、日本の建国からこんな時間が経っているんですね。素晴らしい事です。本当なら国旗を掲揚してお祝いするんだけど、今日は風が強くて残念ながら国旗の掲揚は諦めました。洗濯物も飛ばされそうな強風が時々吹いています。

そんな祝日の今日は、ちょっと久しぶりに愛車で都内に出かけて来ました。

環七を走って行くと荒川を越えたところで右手にニトリが見えて来るところがあります。環七を走るのは実はとても久しぶりなのだけど、そのニトリが見えて来た時に、随分懐かしいなと思いました。

あの頃、ニトリが見えて直ぐにニトリに向かうように環七を右折して真っ直ぐ行くと彼女が住む赤羽でした。よくその道を走って、彼女のマンションに迎えに行ったのです。あれから随分年月が過ぎましたが、ニトリは今も同じ場所に建っていました。

今日は勿論そのまま環七を走り続けて、新幹線を上に見ながら走行を続けると中山道に出ます。その中山道を左折して、そのまま山手通りを目黒方向に向かいました。

その山手通りはさらに懐かしい道です。赤羽で彼女を乗せ、よく山手通りの内回りを池袋や中目黒方向に向かって走りました。池袋はまさに彼女と別れた最後の場所で、あの日は心落ち込み、泣きながら山手通を北に向かい環七を走って帰宅したのです。だからあれ以来環七も山手通もあまり走りたくない道になっていて、あれ以降数回通っただけでした。だから今日は実に何年ぶりかなと思う位久しぶりに通ったのです。

年月は経ったけれど、当時とあまり変わっていません。今日の目的地まであの頃の事を思い出しながら走って、用事を済ませると同じ道を帰って来たのです。

一番思い出すのは、彼女が祐天寺から赤羽に引っ越した時の事です。僕はレンタカーを借りて、彼女の引っ越しを手伝いました。引っ越し荷物を借りたトラックに乗せ、赤羽のマンションに向かいました。1回では運びきれなくて、数回、確か3回位往復しました。勿論レンタカーは僕が負担し、彼女と二人でなんとか1日で引っ越しを終えましたが、その時も山手通りを往復したのです。

赤羽の公園に桜が咲いていたのを記憶しています。

当時僕はかなり一生懸命だったんですね。当時の自分の一生懸命さを思い出しました。

もう悲しみもほとんど消えてなくなりましたが、今僕の心に残っているのは幸せだった当時の事だけです。

今日はそんな訳でちょっと彼女の事を思い出しているのですが、そのせいか今回選んだ写真は小海老のAjilloです。

僕もこのAjillo好きですが、彼女はエビに目がないと言うほど好きだったのを思い出したのです。この写真は日本で最近食べたAjilloですが、当時スペイン料理を食べに彼女と行くと必ずこのAjilloを頼んでいました。勿論Jamonも必ず僕らのテーブルにありましたが、でもなんと言っても彼女の大好物だったAjilloは忘れるものではありません。

彼女はこのAjilloをとると、エビが無くなった後パンにこのAjilloのオリーブをつけて食べていました。そんな食べ方を僕も真似るようになったのも懐かしい思い出です。

さて、今日は用を済ませた後真っ直ぐ家に帰って来ましたが、今日僕が行った場所に一度彼女を連れて行った事があるのです。知り合ってそれほど長くなかった頃だったと思います。そこは僕にとってはとても大切な場所なのです。

果たして彼女はそんな事を覚えているでしょうか?

彼女に会った最後の日、彼女はとても怒ったような、全くとりつく島のない態度で僕の前から消えました。あの様子を見ると、僕とのことは全て忘れていそうに思います。