楽しい哉人生は - 2,0262021-03-11 15:56:07

今朝はいつもより15分早く起きてしまいました。別に震災から10年を意識していたわけではないですが、なぜか目が覚めたらいつになくもう起きてしまおうと言う気分になったのです。

今日は、何はともあれ震災から10年と言う大きな節目の一日。やはり10年前の事を自然と振り返ってしまいますね。

この写真は10年前と言う訳ではないのですが、福島県で撮ったものです。3月末でしたが、まだ雪が残っていました。

きっと今頃はもっと雪があるのかも知れませんね。

10年前は僕は都内で仕事をしていて、古いビルの4階か5階で長い揺れが続いた時に、思わずデスクの下に入らなきゃと思いました。なかなか揺れがおさまらず、一体いつまで揺れているんだろうと、とても不安になったのを記憶しています。おそらく実際に揺れていた時間よりずっと長く感じていたと思います。そして、揺れがようやくおさまった後に、外に出てみましたが、人々が不安そうに外に出ていましたが、どうやら見渡したところ大きな被害はなさそうでした。

でも、その後です。仕事に戻ると、既に東北の津波の模様が放送されていて、その恐ろしさに目を見張りました。そして、原発でした。

この日は金曜日でしたが、夕方早めに帰宅しようと電車の駅に行ってみましたが、勿論電車は動いていず、やむ無く徒歩で帰る決意を決めて、都内を歩き始めました。

この時、既に道路は歩く人で一杯でした。向かう方角はそれぞれ違うけれど、僕は人の流れに沿って、都心を抜け、東京を東に向かって歩いて行きましたが、この日は寒い夜でしたね。

道路はどこもかしこも車で大渋滞。東京駅の地下には地下街の端に座り込んだ人達が沢山いました。おそらく電車が動き始めるのを待とうと決めた人達だったのだと思います。

僕はとにかく歩いて帰る決意をしていたので、普段週末に車でよく通る路をひたすら歩き続けました。途中荒川を超える所では、橋の上を冷たい風が吹いており、キツかったですが、周りには歩いている人達がまだ沢山いたので、何となく勇気をもらえていたように思います。

この頃はまだ彼女と別れていなかったので、何度か携帯からメッセージを入れましたが、既にこの時は素気無い答えが返るだけでした。それはそれでちょっと気分が落ち込む原因にはなり得たのですが、何しろ帰宅しなくては行けないと言うその一心で歩き続け、この夜は都内の東の外れに住んでいる妹の嫁ぎ先に寄らせてもらい、休ませて貰ったのです。

テレビでは福島の原発の模様がずっと流されていました。不安はただただ原発に向けられ、祈るような思いで、最悪の事態が訪れないことを願い続けました。

そして、翌朝電車が動き始めた事を知り、電車で自宅に帰ったのです。

家の中は心配していたほど混乱していなくて、ホッとしましたが、何しろ福島の原発の事が不安で、果たしてどうなってしまうのだろうかと、気が気ではありませんでしたね。

あれから10年。今はだいぶ落ち着いたとは言え、まだまだ復興の途上です。福島の汚染水の事も気になります。

でも、今では福島の浜通りを通って、福島の会津に行ったり、仙台に行ったり、あるいは十和田湖に行ったりしています。

少しでも福島を応援しようと福島で買い物をしたり、旅行したりしましたが、これからもきっとそんな形で福島の為に少しは役立つことができれば良いのでしょうね。

この4月にはできればまた裏磐梯に行きたいと思っています。

今はとにかく復興と、大震災が来ないことを祈るばかりですね。

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