Chieさんへのメッセージ 2,0002021-02-05 16:47:56

とうとうと言うべきか、いつの間にかと言うべきか、このブログの更新が2,000回になりました。記念すべき回なので、昔のタイトルを久しぶりに使っています。

昨日は何やらこのところ珍しく、ちょっと仕事が忙しくてブログ更新出来ませんでした。たまにはそんな日もありますね。

今日は朝から天気も良く、いつもの散歩に出かけましたが、案外寒かったなと思いました。いつも通り小一時間歩いて帰って来て、ちょっと将来の事を考えていたのです。この先の仕事をどうしたら良いかとこの所悩み続けていたのです。今日は少しだけその方向が見えた気がしています。まだ頑張らなくちゃ行けませんからね。だから結構悩んでいました。

さて、今回の昔話は彼女との思い出話です。

写真は箱根の芦ノ湖です。割と天気の良い朝でした。外の空気を吸ってとても清々しい気分になりました。

芦ノ湖は彼女と付き合い始めて割と早くに車でドライブに出かけました。当時彼女は中目黒に住んでいたので、車で中目黒まで迎えに行って、用賀から東名高速に乗って行ったのです。宿泊はせず一日ドライブでした。

この写真のプリンスホテルのロビーにあるカフェで休憩して、芦ノ湖畔を散策し、帰りには御殿場のアウトレットによりました。

あの頃はとにかく彼女と会えただけで心が踊り、その日はワクワクして過ごしていました。季節はいつ頃だったかなぁ。。。ちょっとすぐに思い出せないのですが、それ程寒い時期でも暑い時期でもなかったと思います。天気はちょっと曇り空だったように思います。

二人で訪れた初めての箱根で、二人で出かけた初めての長距離ドライブでもありました。箱根神社にも確か行った様に思います。

あれからいつの間にか随分長い年月が流れました。

でも、今も箱根は僕の心の中で、とても良い記憶として残っているのです。今更彼女とよりを戻そうなんて思ってもいないし、それが出来るとも思っていません。別れた日の彼女の態度からして、とてもそんなことになる様な状況ではないことは重々分かっていますから。おそらく彼女は僕に対して憎しみすら持っているんだろうなと、そんな気がしているくらいなのです。

ただ、彼女と出会って、この箱根に行ったこと、その他にも都内の色々な場所で彼女と楽しく過ごしたことは忘れることはありません。とても大切な思い出として心の中にずっと保存して生きていこうと思っています。

残念ながら人間の記憶は怪しくて、忘れてしまった事も沢山あるけれど、でも楽しかった事だけは忘れるものではありません。

彼女にとっては無理にでも忘れてしまいたい記憶になってしまっているかも知れないけれど、僕にとってもとにかく楽しくてウキウキするとても貴重な思い出です。

だから、この箱根にも時々行きたいのです。あの時の記憶を少しでも取り戻すために。

箱根だけではなく、益子も同じですし、長いこと行っていないけれど日光もです。だから時々益子にも行きたくなるのです。そして、今となっては蟠りも消えたのでBarcelonaにももう一度行って一緒に歩いた街を歩いてみたいと思います。

スペインに行かれる日がいつ来るのか分からないけれど、きっとそんな日がやってくるでしょうから。

今はとにかく彼女が今も元気で過ごしている事を願うばかりです。それだけ彼女に伝わると良いなと思っています。

楽しい哉人生は - 1,9992021-02-03 16:47:45

昨日は雨のためにあまり散歩出来なかったので、今日はちょっと頑張ろうと思っていました。ただ、それほど力をこめて出かけた訳でもなくて、ちょっと軽い気持ちで出て行ったのですが、結局今日はちょっと頑張れたかなと思います。

早いものでもう水曜日ですね。今週も半分過ぎてしまいました。

でも、その割には仕事の成果がなくて、何やら悶々としています。一体自分は今後どうやって生きていこうかと考えるようになりました。

正直言うと今更必死になって仕事をして、例えば財をなしてやろうとか、有名になってやろうとか考えている訳ではないので、残りの人生の中で仕事をどう位置付けて、自分のプライバシーと仕事をどうやってバランスとって行けばいいだろうかと思っているのです。

今日は、ちょっとそんな事を考えてしまう出来事もありました。いくつか仕事のオファーを貰っているのですが、果たしてこの先何を頑張れば良いのか考えています。逆にそんなに頑張りたくないので、余計に考えるのかも知れません。

さて、今回の写真は益子です。栃木県は今回緊急事態宣言が解除されるようですね。本当はそんな栃木県の益子に陶器を見に行きたいところなのですが、僕らの住む東京都とその周辺の3県はまだ解除されません。だから、もしも栃木県ナンバー以外の車で出かけて行ったら、去年あった様に嫌がらせを受けたりするのではないかと思ってしまいます。

でも、この写真の陶器も好きなのですが、なんだか陶器を見ているととても心が和んで落ち着く感じがするのです。

益子は別れた彼女と初めて行って、お店に並べられた陶器に魅了されました。時々とても魅力的な陶器に出会えるので、折を見ながら時々行ってみたい場所なのです。もちろん買って帰ることもありますし、ただ眺めて終わりの事もあるのですが、本当に陶器には不思議な魅力がありますね。

陶器と言えば、彼女とBarcelonaに行った時にも、スペインの色々な地域の陶器を売っているお店があって、二人でそのお店に行った時には数時間そのお店の中にいました。ずっと並べられた陶器を見ていて、どれもこれも欲しくなったのですが、何しろ持って帰ることを考えるとそんなに沢山買えるものではないので、ちょっとだけ買って帰ったのを思い出します。

益子の陶器と違って、スペインのものはちょっと色が鮮やかだったり、変わった形の陶器だったり、可愛い模様の入った陶器だったりでした。

でも、よくよく考えるとそんな色鮮やかで変わった形の陶器って、日常生活でそれ程使う場面がないようにも思えて来て、その後Barcelonaで見た陶器への熱意がちょっと冷めてしまったのです。

そのてん、益子の陶器は日常でも使えるものが多いし、かと言って平凡でもなく、色や形もとても魅力的なものが多いので、スペイン物よりいいかなと思っています。

果たして益子にはその後彼女は訪れているかどうか分かりませんが、結構陶器は好きそうだったので、もしかしたら行っているかも知れませんね。

さて、緊急事態宣言の1ヶ月延長が決まって、もうあと一月近く不要不急の外出を控えろと言うのでしょうけど、やっぱりこう毎日毎日家とその周りだけで過ごす生活が続くと、ちょっと堪忍してくださいと言うたくもなります。今月は祝日が2日あるので、土日はなんだかんだ忙しいけれど、この祝日だけは日帰りでどこかに行きたいと思っているのですが、やっぱり自粛しなければ行けないのでしょうね。。。

楽しい哉人生は - 1,9832021-01-16 16:33:06

週末がやって来ました。今日は朝から晴れて、しかもまるで春の様な陽気です。1月とは思えないちょっとポカポカした陽気になりました。小春日和と言うのか、でもほとんど春って気もするほどの気温だったと思います。

そんな陽気だったので、朝の散歩では少し汗をかきました。手袋をして出ても暑くて手袋を外してしまいました。

明日からはまた冬に戻るのかな。。。

ところで、この写真はまさに春に撮ったものですけど、まだ残雪の残っている裏磐梯です。

この建物は泊まったホテルですが、山小屋と言うかロッジ風の建物で良い感じですね。部屋も結構悪くなくて、快適でした。そして面白いのは夜食を部屋に持ってきてくれるのです。この時はおにぎりを持って来てくれて、専用の夜食置きの箱に部屋の外から入れて置いて行ってくれるのです。

夜しっかり食べた後だったけれど、結局その夜食も食べてしまいました。

以前にも書きましたが、このホテルの唯一の難点は大浴場がちょっと小さい事でした。一応温泉になっているので、やはり日本人は大きな浴場で温泉に入りたいなと思うと思います。部屋のお風呂も良いけれど、せっかくなら大浴場でゆっくりしたいですから。

そんな訳で、もし次回ここに行くとしたら、部屋風呂で我慢してしまうかも知れません。

このところ、明け方にウトウトしながら夢をみるのですが、どう言う訳かこのところ別れた彼女の夢を見るのです。

ちょっと再会したいかなみたいな感じの夢なのですが、でも、実際には再会したとしてもきっと彼女から冷たくされるか、無視されるか、嫌な顔をされるかだろうと思うので、本気で再会したいと思っている訳ではないのですが、なぜそんな夢を見るんでしょうね。

でも、見る夢は別れるずっと前の夢で、仲良く色々な所に行った夢なのです。

だから、この裏磐梯のホテルの写真とかを見ると一緒に行かれていたらきっと楽しかったのだろうなと思ってしまいます。

でも、なぜか地方の温泉地とかリゾート見たいな場所に泊まりがけで行った事がなかったなと思い出しました。ちょっと残念でしたね。

そもそもBarcelonaが大好きな彼女だったので、一緒にBarcelonaに行かれたのはそんな訳でとても良かったなと思います。

再会は望まないけれど、あの当時の楽しかった事を思い出すと、なんだか幸せな気持ちに今でもなれるのですね。

回想「震災の日」2014-01-27 23:04:09

ちょうどおよそ3年前、東日本大震災が有ったあの日、僕は六本木の勤め先から家まで歩いて帰る途中でした。もう日本中か大騒ぎになっていたときですが、とはいえ、まずは自分の命、そしてこの状況からどうやって脱出するかがみんなの最大の関心だったように思います。

ちょっと不謹慎かも知れませんが、まずは自分の命、そして自分がとりあえず大丈夫そうだと分かったところで周りを気遣う余裕が出たというのが本心です。 揺れが落ち着き、都心で仕事をしていた人たちはほぼ一斉に家を目指して歩いているか、諦めて鉄道の駅等で様子を見ていました。 僕はひとまず家を目指して歩きつつも、おそらく家にはたどり着かないだろうということで、嫁いだ妹の嫁ぎ先を目指していました。 そんな中、僕はまずは千恵さんのことが気がかりで携帯に電話をかけてみました。彼女は江東区で仕事をしているはずでした。北区の自宅までどうやって帰るつもりか、そしてそもそも無事でいるのか、それが一番の気がかりでした。 でも、携帯電話はつながりませんでした。そこで僕は携帯にメールをしてみました。 ちょうど僕はその頃東京駅を過ぎて、秋葉原近くまで達していた頃です。 彼女は普通に歩くとすれば秋葉原を経由して歩いているはずでした。 僕はひとまず彼女の無事が心配であること、今日はどうするつもりでいるのか、そんなことを訪ねました。するとちょっとして彼女から返事が入って来ました。 それは実に素っ気ない回答でした。自分は無事だから気にかけるな、そんな内容の回答でした。 それでも僕は気がかりだったので気をつける様に伝えました。しかし、その後彼女からこれと言った返答はなかった様に思います。 今思えば実に人間味の無い対応です。文句の一言、いえ、百言言いたいくらいです。 何度も言いますが僕は彼女の為に過去様々な努力をしました。彼女のために尽力しました。それは彼女自身がよく知っていることです。それに対しての振る舞いとしてはとても人の出来ることとは思えません。 今、僕は思っていることがあります。このブログで直接彼女に問いかけることです。 前にも書きましたが、千恵さんがこのブログを読んでいるかどうかの自信はありませんが、僕の思いを直接的にぶつけるメッセージを近々書こうと思っています。

亡き母へのメッセージ2014-01-25 00:11:47

おふくろ!?

しばらくだね。今日はあなたが僕らのそばから離れて行って22年目の記念日です。 どうですか?元気でいますか? なんだか僕らがいるこの時代、この世界から遠く離れてしまったおふくろさんに元気ですか?と聞くのも変な話だけど、僕にはあなたが今もどこか見えない世界で元気にしている様に思えて仕方がないのです。 そして、そっちから僕らのことを時々観察しては、きっと何やら独り言でも言っているのではないかと思います。 今日1月24日もあと10分もすれば終わってしまいます。僕は今仕事を終えて家に帰って来て、ビールを飲みながらあなたのことを思っていたところです。 仕事中はすっかり忘れていたけど、今日は仕事が終わり家に向かう車の中であなたのことをしっかりと思い出しました。そして、ちょうど22年前の今日のことを鮮やかに思い出しました。 既にあの時間は過ぎてしまったけれど、22年前の今日はあなたが横になっている病室のベッドの横で僕は行ったり来たりでした。あなたは既にほとんど意識は無かったみたいで、酸素吸引のマスクをかけられて、ただじっと目をつぶって横になっていました。僕はそんなあなたの手を握ってみたり、足をさすってみたり、必死になってあなたの意識が戻ってくることを願っていました。勿論そばにいた二人のあなたの娘を同じでしたよ。 でもそうした願いも空しく母さん、あなたはそのまま帰らぬ人となってしまいました。夜20時少し前のことでした。 母さん、あれからもう22年の年月が過ぎました。あなたはきっと知っているかもしれませんが、この22年で僕には様々な出来事がありましたよ。 最大の出来事はそうです、千恵さんと出会ったことです。 僕がオランダに行っていたときに彼女と巡り会いました。僕にはとても劇的な出会いでした。それは多分彼女にとっても同じだったと思うのです。 知っていますか?僕は彼女を連れてあなたの墓前に行きました。彼女をあなたに紹介して、あなたに了解をもらおうと思ったのです。あのとき僕は彼女を連れてオランダに戻るつもりでした。勿論彼女と結婚してです。その前にどうしてもあなたに彼女を紹介したくて、中野のお寺に連れて行きました。きっと見てくれましたよね?! そして、僕はオランダに行きました。後から千恵さんを迎えるつもりでした。僕は本当に真剣でした。母さん、あなたならきっと僕の思いを理解してくれるでしょう!? 僕の性格、僕の真面目さをあなたはきっと信じてくれているはずです。 そう、僕は本当に真剣でした。それは過去形で表現出来るものではなくて、今も本当に真剣なのです。 残念ながら僕の真剣な思いは彼女には最後は理解されなかったのです。 僕の真面目さが彼女には伝わりませんでした。母さん、これは僕の人生の中で最大の失敗です。自分の本当の思いや、真剣さが人に理解してもらえなかったことの悲しさは例えようがありません。 22年という区切りの年を迎えましたが、母さん、あなたは今も僕らの中で生きています。二人の妹たちもあなたのことを心から思っています。そして、それは僕も一緒です。 どうか元気でいてください。今ははるか遠くにはなれ、あなたに会うことは叶わないかもしれないけれど、何年かしたらきっと会えるでしょう。どうかそれまで僕たちを見守っていてください。 そして母さん、願わくば僕の本当の思い、真剣だった僕の本心を彼女に伝えてください!このままでは僕は浮かばれません。 良いでしょう、仮に僕のことが好きではなくなったということを受け入れることが有っても、僕の心からの思いや、真剣な思いをないがしろにされるのは受け入れることが出来ません。せめて僕の真意を千恵さんに伝えてください。 あれから22年目を迎えて、母さん、改めてあなたにすがってお願いをします。 僕の思いをぜひ伝えてください!